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BEATニッポン「高知で出合った衝撃 もはやジビエ カツオのたたき」

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「いいもの」とは何だろうか。

「いいもの」という言葉はさまざまな文脈で簡単に使われすぎていて、僕は「いいもの」の再定義が今必要だと考えている。本当にいいもの、真の美しさと力を持ったものとは、時空を超え、言葉や人種を超えて理解できるものである。日本や世界で「いいもの」を発掘するのが僕の旅で、そのときに出会う「いいもの」とは、ものであったり、人であったり、風景であったりする。

時には、自分の中の既成概念を覆されるほどの衝撃を与えてくれるものもある。出会いの衝撃は和太鼓の鼓動のように直接腹に響き、余韻が波となってあとまで残る。言葉を媒介した理解ではなく、体感するのだ。感動するというのは「感じて心が動く」こと。この連載では、僕が旅を通じて体感した数々の鼓動や感動を紹介していきたい。

 人、食材、土地に力

 このところ僕は高知にたびたび足を運んでいるが、この土地で最初に衝撃を与えてくれたのは、カツオのたたきである。いきなり食の名物が登場することに違和感を覚えるかもしれない。だが、これを食べた時のショックを言葉にするのは難しい。以前、食べたことのあるカツオのたたきとは全く異次元の、引き締まった食感と濃厚なうま味。塩を振って大きな炎で表面をあぶり、ニンニクと共に食べる。レアステーキのような食べ方をする高知のカツオは、魚というより肉に近い。これはもはや、ジビエである。「生き物を食っている」感覚になるのだ。

 縁あって知り合った漁師の船に乗せてもらったことがある。雨をはらんだ暗灰色の雲と海が視界を分ける中、野見の港を出た。揺れる船上でカンパチの首に包丁を立て、活け締めにする。船着き場に大きなまな板を転がし、あらを海に投げながらカンパチを節におろす。ラフに見えるが無駄のない包丁さばきに、しばし目を奪われた。それは考えずとも手が動くという具合で、生き物を獲ることを生業にしている者の、体にしみついた技術であった。

 漁のあとの宴の席にもカツオのたたきが登場した。作り方を尋ねても「普通に作ってるだけ」としか説明がない。実際、船着き場の近くに置かれたドラム缶にわらを放り込んで燃やし、一瞬にして吹き出した炎にカツオの節をさっとさらすだけ。特別な工夫があるようにはみえない。

 高知では、食材も人も土地の力を身に蓄えている。つややかなピーマンですらジビエだと感じてしまうのは、そのためであろう。高知で出合うカツオのたたきを語るのに多くの言葉は必要ない。ただ食べてもらえばいい。国境を軽々と超える、一流の味である。

 「感じて動く」さま

  日本の優れた工芸品や、長い年月をかけて培われた手わざの力を、広く世界に発信するために必要なものは何だろうか。

 海外の優れたデザイナーとマッチングさせ、それをメディアにのせることも一つの手法ではある。

 しかし今、自分が目を向けるべきは、もっと足下のことなのではないかと、僕は考えている。言葉を尽くして説明する必要のない、手に取った瞬間、直に伝わる力のあるもの。洋の東西を問わず、通用する圧倒的にすばらしいものが、日本にはもっとあるのではないだろうか。それもごく当たり前に、身近なところにそうした価値あるものが見いだせるのではないかと思う。高知が教えてくれるのはそういうことだ。

 言葉の少なかった野見の漁師は、後日スタッフのブログに「楽しい時間をありがとう」と、さっぱりとしたコメントを寄せてくれた。ジビエのようなカツオのたたきを通じて「感じて動く」さまを直接伝え、その感動をスマートフォンという電子機器を駆使した短い言葉で的確に補う。なんというコミュニケーション能力の高さだろう。恐れ入るほかない。

 僕は今、高知にますます魅了されている。


■カツオのたたき カツオを節のまま表面をあぶり、ニンニク、ネギ、ショウガなどの薬味とともに食べる。高知では、すだちやぶしゅかんなどのいわゆる「酢みかん」と呼ばれる地元のかんきつ類をたっぷり絞り、皮をすりおろして食べることが多い。わらを燃やした大きな炎でさっと焼いたものは、高知の名物として有名。発祥には諸説あるが、江戸の末期には広く食べられていた記録がある。


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2015.09.04
SANKEI EXPRESS 掲載