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Beatニッポン「豊かな時間とお茶を楽しむために 茶缶」

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 今、僕の手のひらの中にある、平たいスチール製の缶。その名も「茶缶」という。何をいまさら?と思われるかもしれないが、これ実は茶箱であり、つまり茶道具の一式だ。ふたを開けると、缶の内径ぴったりに作られた茶碗(ちゃわん)があり、その中にお茶を入れる棗(なつめ)、茶筅(ちゃせん)、茶杓(ちゃしゃく)、帛紗(ふくさ)が収まっている。


 単なる道具ではない

 茶箱は、旅先や野点(のだて)のために茶道具一式が持ち運べるように考案されたものだ。茶室での道具にはさまざまな約束ごとがあるが、外へ持ち出す茶箱については自由に組むことができるのが、茶箱の大きな魅力だ。この愛くるしいアイデアは金沢で金工を行っている竹俣勇壱氏の考案によるもの。初めて試作品をみせていただいたとき、僕は強い興味を持った。

 その後、デザイナーの猿山修(さるやま・おさむ)氏も交えた三者で、NAKANIWAオリジナルの茶缶を作れないかを考えた。このアイデアのすばらしいところは、さまざまな職 お茶を飲む文化は世界中にあるが、喫茶を「道」として成立させ、しかもそれが数百年の歴史を持つというのは日本だけだ。お茶は「点(た)てる」といい、お茶を点てる際の作法や一連の所作を「お点前(てまえ)」という。茶道には独特の言葉があり、専用の道具がある。茶道具は茶会の趣旨や季節を表現するものとして、銘や格、いわれなどさまざまな要素を踏まえ、主人が組み合わせを考えて客に提供されるもので、単なる道具以上の意味合いを持つ。茶会の席では鑑賞の対象となり、財力や美的感覚の象徴として、時の権力者や富裕層が競い合って蒐集(しゅうしゅう)した。茶碗は陶芸、茶筅は竹細工、茶器は塗り、釜は鋳物。茶道具には日本の伝統工芸の粋が集められ、美術品として博物館や美術館に収まるものも多数ある。人とのコラボレーションを所有者が楽しめるところにある。消費されるモノが溢れている日常で、ちょっとした自分だけのモノを持つことの喜びを思い出させてくれる。

 NAKANIWAオリジナルは、そうした喜びを知るきっかけを作る、いわばスターターアイテムを目指した。

 お茶を飲む文化は世界中にあるが、喫茶を「道」として成立させ、しかもそれが数百年の歴史を持つというのは日本だけだ。お茶は「点(た)てる」といい、お茶を点てる際の作法や一連の所作を「お点前(てまえ)」という。茶道には独特の言葉があり、専用の道具がある。茶道具は茶会の趣旨や季節を表現するものとして、銘や格、いわれなどさまざまな要素を踏まえ、主人が組み合わせを考えて客に提供されるもので、単なる道具以上の意味合いを持つ。茶会の席では鑑賞の対象となり、財力や美的感覚の象徴として、時の権力者や富裕層が競い合って蒐集(しゅうしゅう)した。茶碗は陶芸、茶筅は竹細工、茶器は塗り、釜は鋳物。茶道具には日本の伝統工芸の粋が集められ、美術品として博物館や美術館に収まるものも多数ある。


 小さくてもしっかりしたものを

 とはいえ、やはり基本はお茶をおいしくいただくための道具である。NAKANIWAオリジナルの茶箱を思い立ったとき、竹俣氏の美意識を保ちつつ、その実現のために、僕の考える最高の方々の技をお借りした。このような小さいサイズでミニチュアではなく、しっかりとした茶道具を作るのはとても難しい試みだ。それでも、協力してくれた職人たちはみんな、この茶缶の可能性を感じ取って参加してくれた。

 その中でも特に試行錯誤が繰り返されたのは茶碗だ。手のひらサイズでありながら、抹茶茶碗らしく見えなくてはならない。お茶の茶碗は茶筅が振りやすいよう口が広く、振る際にお茶があふれないような深さと座りの良さも必要で、口に当てて傾けたときにすっとお茶が流れる飲みやすさも大切だ。この欲張りなリクエストは、猿山氏のデザインによって見事に実現された。唐津焼の風合いを再現しつつ、縁がやや薄く、口に向かってわずかに細くなるフォルムは、点てやすさと華奢(きゃしゃ)な美しさを絶妙なバランスで両立させた。制作は有田の文祥窯にお願いし、口当たりが柔らかく、飽きのこない茶碗に仕上がった。

 その他の品は、竹俣氏にいろいろとワガママを聞いてもらいながら、パッケージの肝となるステンレスの茶缶、真鍮(しんちゅう)の茶筅筒と帛紗の筒は竹俣氏のアトリエで、茶筅は奈良、棗は石川県の山中でしつらえていただいた。

 実はとてもシンプルなこと

 茶道というと敷居が高い印象を持つ人が多いかもしれないが、もとは熱いお茶一杯をいれて楽しむという、ただそれだけのシンプルなことなのだと思う。道ごととは生き方であり、百人あれば百通りの解釈があっていい。僕は、必要でないものをそぎ落とし、シンプルに自然に心を寄せる時間を演出するものがお茶であると考える。そして、そのときの道具は愛着のあるものであってこそ、楽しく豊かな時間になると思うのだ。

 たとえば、茶缶セットをザックに入れ、広々とした景色の山頂でお茶を点てる。旅先の気に入った窯元で、自分好みの茶碗をオーダーしてみる。缶を入れる袋や、別の箱を探してみるのもいい。道具を通してコミュニケーションが生まれ、日常とは少し異なった会話が育まれる。そんなふうに、茶缶セットが日常生活に溶け込み、お茶を楽しめるプラットフォームになっていけばいいと考えている。


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2016.03.04
SANKEI EXPRESS 掲載