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BEATニッポン 「切り取られた断面に広がる小宇宙 写真家・石元泰博さんとの再会」

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前回に引き続き、高知である。  先日訪れた高知県立美術館で、僕は石元泰博さんの写真と「再会」した。「石元泰博展示室」と名づけられた奥行きのある白い部屋の壁面に、端正に切り取られたモノクロームの写真が等間隔で並んでいる。石元さんの作品を初めて見たときの衝撃は今でも忘れられない。それは、高校生の頃にさかのぼる。通っていた高校が神奈川県の鎌倉にあり、僕は学校帰りにふらりと鶴岡八幡宮近くの神奈川県立近代美術館に立ち寄った。そのときの展示が、写真家・石元泰博による「桂・伊勢」だった。全点モノクロームの写真。その全てから、この被写体をこの光で、ここからこの角度で、このように撮りたいという、強烈な意志が感じられた。


 ぞっとするような構図の美

 「伊勢」の写真は、たとえば屋根に置かれた千木(ちぎ)や鰹木(かつおぎ)であるとか、床を支える柱の軸組であるとか、ひたすらディテールに迫った構図で潔く切り取られている。それぞれに宿る自然の力を凝縮した写真を見ているうちに、伊勢神宮を訪れたときの興奮が生々しく自分の中によみがえってくるのを感じた。「桂」の写真にもくぎ付けになった。柱と鴨居(かもい)、襖の桟(さん)と縁が分割する画面、敷石と飛び石が抽象画のように見える構図。ビロードのような苔を硬質な敷石が一線で切り分ける一枚。それらの全てが、切り取り方次第でこうも変わるのか、と衝撃を受け、ぞっとするような美しさを感じた。

 石元さんはご両親が土佐の方で、3歳から高校卒業までの時間を高知で過ごしたらしい。僕の中で「なるほど、高知の人間だったらこう撮るかもしれない」と、自然と納得するところがあった。襖の枠や障子の桟、畳の縁や柱など、直角に交わった2本の軸が内と外を感じさせる。庭と廊下を区切る横一線が天と地を描き、雁行する飛び石や御手洗場の水紋が、小宇宙を思わせるのだ。石元さんの切り取った断片は、切り取られて写っていない空間の存在までも浮かび上がらせ、一枚の中に宇宙があるような気がしてくる。

 最大限の仕事が生む品格

 桂離宮は、17世紀前半に造られた八条宮の別邸である。古書院や新御殿などの書院群と庭園からなり、20世紀を代表するドイツの建築家、ブルーノ・タウトからその「日本的美しさ」を絶賛され、世界にその名を知られている。桂離宮の建築様式である書院造は、いわば武士の住宅としてのデザインが源にある。プライベートな空間である書室や接客のための空間など、いくつもの座敷が襖や障子で隔てられ、そこには人との関係性をめぐる思想がある。一方で、月を見るためだけに造られた月見台などもあり、自然との関係性をめぐる思想もある。武士の住宅として機能的かつ合理的でありながら、精神的な思想が全体を貫いている。そのことこそが、桂離宮を極まった美しさに成さしめていると思う。

江戸時代に日本を訪れた多くの欧米人が、日本人の持つ「品」について触れている。僕は、日本人や日本のものづくりに宿る品格こそが、日本の魅力の核だと考える。それを持ち続けることで、日本のものづくりは新しい次元に入ることができるはずだ。

品格とは何なのか? 日本のものづくりを追い続ける僕にとって、それを探求することは大きなテーマである。一つには、ものをつくる行為の中に思想があることだろう。評価を得るとか、その成果として高い対価を得ることが目的になったとたん、ものづくりの思想はどこかマーケティングの一部になってしまう。言葉で十分に説明することは難しいが、「この素材をどこまで使い切るか」「自分はどこまでできるのか」を問い続けながら、自分にとって最大限の仕事を行い、その結果が作品に凝縮されると、おのずから品格が備わってくるのではないだろうか。おそらく、桂離宮に関わった多くの職人たちは、全員が同じ方向を向いて、それぞれが最大限の仕事をやったのだ。だからこそ桂離宮には、どこか張りつめた当時の空気感が、時空を超えて隅々に感じられるのだろう。

 石元さんの写真の美しい比率を見ていると、自分のデザインのバランス感覚がチューニングされていく心地良さを感じる。思いがけず高知で再び出会ったとき、美しいものを表現するための哲学を改めて感じ、自分が熱くなるのを感じた。桂離宮の石畳に魂を込めた17世紀の職人たち、それを一期一会の集中力で大胆に切り取った写真家、その写真を見て心が動いた自分。脈々と流れる精神の川床に刷り込まれたDNAで、僕は石元さんの写真を見たのだと思う。(株式会社「丸若屋」代表 丸若裕俊/SANKEI EXPRESS)

■いしもと・やすひろ 1921年、米サンフランシスコ生まれ。3歳で両親の故郷である高知に移り、高校卒業後に単身渡米してシカゴのインスティテュート・オブ・デザインの写真学科で学ぶ。54年に桂離宮を撮影、60年に代表作『桂 KATSURA 日本建築における伝統と創造』(共著)を日米で出版した=2014年、新装版『桂離宮』(六曜社)として再刊。ほかに『シカゴ、シカゴ』『伊勢神宮』などの写真集がある。12年2月6日、90歳で死去した。


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2015.10.02
SANKEI EXPRESS 掲載